育児で身についた「やってみなはれ精神」

育児をしてると正解が

わからないことばかりです。


娘が泣けば、なにをして

ほしいのかもわからない。

抱っこ?縦抱き?横抱き?

それともミルクがほしい?

おむつを替えてほしい?

はたまた暑い?寒い?

などなど…


よくよく観察すれば

わかるのかもしれません。


でもぼくの場合は、

その間泣かせておくよりは、

「当たりがでるまで試してしまえ」と

とりあえずいろいろ

試してしまいます。


そんなことを繰り返していると、

結果的に自然と勘が備わってくきて、

「今求めていることはこれじゃないかな?」と

なんとなくわかるようになってくるものです。


ほかにも、鼻をぐずぐずしていたり、

湿疹が出ていれば、

すぐに病院に連れていってしまう。


「どうしようどうしよう」と

自分(たち)だけで悩んでいても

答えは出ない。


悩んでしまうくらいなら、

わかる人に聞いてしまうほうが速く、

時間のロスも少ないし、

精神衛生上も健全です。


そんな感じで、

以前は慎重派だったぼくも

(一方で気が短く、判断の

先延ばしは苦手でしたが…)、

育児を経験して、

悩んでないで、とりあえず

やってみたらいいじゃん

という思考回路がデフォルトに

なりました。


・・・


そんなある日、仕事で後輩から

「これってどっちが正しいか

わかりますか?」

という質問をされまして。


見てみると、ぼくに聞いても

答えがわからないことは一目瞭然。

お客さんに確認するしかないのは

明白なんです。


思わず「お客さんに聞かなきゃ

わからないよね?

こっちでいろいろ想像してても

しょうがないんだから、

さっさと確認しちゃいなよ」

と言いそうになるのをこらえ、

確認するようやんわり伝えました。


・・・


ぼくも慎重派で、

いろいろと可能性を考えてしまう

ことはあります。


でも育児においては、

考えこんでいても事態は進展しない。

それどころか、着々と悪化する、

なんてこともしばしば。


これという正解がわからない中で、

自分の引き出しから

正解っぽいものを選び、

即断して試してみる。

それがうまくいかなければ

執着せず次の手を試す

の連続です。

 

考えてもわからないことは人に聞く。

失敗を恐れずとりあえずやってみる。

うまくいかなければ切り替えて、

他の方法を試す。

これをしないと

育児では太刀打ちできません。


そしてこのアプローチは

そのまま仕事にも役立ちます。

でもこれができてる人って、

実はあまりいないんですよね。


そんなわけで、

みんな育児してみたらええんちゃう?

という暴論で、今回は締めくくります。


ではでは。